Wings of Desire

映画を中心に、出会ったものの記録。

全能な天使は、なぜ不完全な人間に憧れるのか?-『ベルリン・天使の詩』

ベルリン・天使の詩』 – ヴィム・ヴェンダース 

 1987年 フランス・西ドイツ合作

 

あらすじ

守護天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)は、長い歴史を天使として見届け、人間のあらゆるドラマを寄り添うように見守った。だが親友カシエル(オットー・ザンダー)に永遠の生命を放棄し、人間になりたい、と打ち明ける。やがてサーカスの舞姫マリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)に想いを寄せるダミエルはついに「壁」を境に東西に隔てられた街「ベルリン」に降り立つ。ー 出展:wikipediaベルリン・天使の詩

ベルリンの街を見守る"中年天使"たち

天使といっても、可愛らしい子供ではなく、この映画に出てくる天使はほぼ全員、中年男性。そしてなぜか、全員が重めのロングコートにマフラーという装い。彼らには人間の心の声が聴こえる。人間の近くに居るだけで、そこにいる人々が何を思い、何を考えているかが手に取るようにわかる。

天使の役割は、街を巡回しながら、人間たちをただ「見守る」こと。しかし、天使を見れない人間は彼らの存在に気付くことはできず、彼らはどこまで行っても"世界の背面"の住人でしかない。

時に苦悩を抱える人間、死期が迫る人間を見つけると、天使たちはそっと傍に寄り添うことで、人々の心を癒す。天使に触れられた人間は、ふっと心が軽くなったり、思い悩むことをやめる。

f:id:shino111:20200421185257p:plain

*図書館を練り歩くオジサン天使の図。図書館は天使の集会場のよう。

人間が誕生する前から、何万年もの間世界を見守ってきた天使ダミエルは、いつの日からか、自分の天使としての役割を捨て、人間界へ降りることを夢に見る。

 

永遠の時と、有限の生

ダミエルは、長年一緒に世界を見守ってきた相棒の天使カシエルに、自分の心の内を打ち明ける。

"永遠の時に漂うより、自分の重さを感じたい。

  僕を大地に縛り付ける重さを感じたい"

"僕らはいつだって永遠に幻なのだから"

この映画では大部分のシーンが白黒で描かれているが、それは天使が"色彩"を感じられず、世界を味わうことが出来ないということの表れ。味覚も、皮膚の感触も、温度も、何一つ感じることができず、天使は世界に触れることさえできない。

天使ダミエルは、たとえ有限な命となったとしても、人間として"世界の背後"ではなく、"世界の中"で生きてみたいと、相棒カシエルに訴える。

f:id:shino111:20200421185226p:plain

*不完全な人間への憧れ。「アーメン」ではなく「あぁ」「おぉ」と、感嘆の声をあげてみたい。

 

そして、ある日街のサーカスで出会った空中ブランコ乗りのフランス人女性、マリオンの"誰かを愛したい"という心の声をきっかけに、ダミエルの心はさらに揺れ動く。天使が見えないマリオンにとって、それは自分の中の言葉に過ぎないはず。しかし、ダミエルは、その言葉がまるで自分に向けられているように感じ、動揺を隠せない。

f:id:shino111:20200421191523p:plain

*マリオンの部屋。すぐ傍に寄り添うダミエルの存在は、マリオンにはわからない。

 

天使が見える男"刑事コロンボ"

作中に登場する"刑事コロンボ"(ピーター・フォーク本人役)は、この映画にとって無くてはならない存在である。街のコーヒースタンドでコロンボに近づいた天使ダミエルに、彼は言う。

”I can't see ya, but I know you're here.(見えないが、そこにいるな?)”

"I feel it.(感じるんだ)"

「人間には決して見えないはずなのに。」自分の存在を感じる人間に初めて出会い、驚くダミエルをよそに、コロンボは手に持っていたスケッチブックで自分の感じるダミエルの顔を描写し、あたかも友人のように語り掛ける。

コーヒーを飲むこと、煙草を吸うこと、絵を描くこと、鉛筆をもって太い線、太い線を描くこと、手がかじかんだら、こすり合わせて温めること。人間の生活がどれほど味わい深く、素晴らしいものか。君も早くこっちの世界に来ればいいのに、と。

f:id:shino111:20200421191548p:plain

*"人間の生活には素敵なことが山ほどある"とコロンボ。ダミエルも楽しそうに聴き入る。

本作ではベルリンの人々が描かれているが、その多くは日々の生活に疲れ果て、鬱々とした感情を押し殺して生きている人達。対照的に、コロンボは日々の些細なこと、人間にとって一見当たり前のことに対し、それを丁寧に味わい、自分なりの意味を見出し、愛する人物として描かれている。生の実感を感じ、生き生きと生活を送っている。

また、一貫して静寂で、重みのある空気が終始続く本作において、ある種のコミカルな空気を持ち込み、観る者に愛着を抱かせる役割を担っている。

*これ以外にも印象に残る素敵なシーンがいくつかあるが、ほぼ脚本なしでアドリブでやり遂げたというのが驚きである。。。

コミカルさで言えば、天使であることを捨て、人間界へと降りた後のダミエルも、人間になった瞬間途端に、溢れんばかりの人間らしさが出てきて面白い。

 

f:id:shino111:20200421191531p:plain

*天使時代に着用していた大事な鎧をアンティークショップに売る、マリオンに合えず苛立ち、砂を蹴る等、全能天使ダミエルも、人間になった瞬間にやりたい放題である。

 

ベルリンが抱える、忘れられた人々の歴史

本作のプロットは、「天使が人間となり、生の実感を得る」「愛の結びつきを通じ、男女が一体の存在になる」という形をとるが、同時にベルリンが象徴する、人間の「歴史」との向き合い方についての真摯なメッセージが込められている。

この映画が描くベルリンの街は美しい。監督のヴェンダースが、まず何よりも「撮りたい所」を基軸に撮影を考えたと述べているように、全編を通して幻想的かつ詩的なベルリンの風景が収められている。

一方、時折挿入される実写映像が映すのは、戦時下、終戦直後の都市。人の死骸が道に並ぶ様子、崩壊した家々、焼け野原となった広場。実写映像が入ることで、戦後ベルリンの記録映画としての意味を持たせようともしている。

f:id:shino111:20200421191437p:plain

 *戦後のベルリン。想像できないほどの瓦礫の山。

映画の中でホメロスという老人が登場する。彼は天使カシエルに見守られながら、昔自分が住んでいたポツダム広場へと向かう。ポツダム広場と言えば、第二次世界大戦時、ナチス親衛隊、ゲシュタポの本拠地であった場所だ。空襲、砲撃により徹底的に焼野原となった広場は、遠くない昔、人々でにぎわう経済の中心地であり、華やかな広場だったのである。ホメロスは戦争で焼野原と化した広場を見て、そこに確かに人々の生活があったことを思い返す。

"ある日、広場が突然沢山の旗で埋まり、人が人を嫌い始めた。"

ホメロス老人役のクルト・ボウワはベルリン出身のユダヤ系の役者で、実際にベルリンに生まれ、戦前・戦後を生きた人。1934年にナチスの迫害を受け、アメリカへ亡命し、ハリウッドで俳優として活動した。

f:id:shino111:20200421191432p:plain

 *すべてがなくなった広場。遠くない昔、そこには確かに人々の生活が存在した。

監督のヴィム・ヴェンダースは、舞台となったベルリンの街について言葉を残している。

"確かにベルリンの85%は新しくなってしまいました。しかしその新しい部分は、いたるところに大きな穴を残したまま出来上がっているのです。そしてその穴の中をのぞくと、今にまで残る廃墟やら何らかの記念碑の類を見ないわけにはゆかないのです。そういうものと新しい都市の部分との和合は進まなかったのです。古いまま残った部分の周辺に広大な無人の土地が広がっている。" -『ヴィム・ヴェンダース,映画を語る』 フィルムアート社

本作が撮影された80年代後半は、まだベルリンを東西に分かつ、冷徹な分厚い壁があった時代。何事もなかったかのように発展していく世界、進んでいく時代、記憶を無くしていく人々に対して、この映画は、声を荒げて主張するわけでもなく、ただ淡々とその事実を物語る。人間の、目を背けたくなる歴史を一身に背負うベルリンが、今もなおここに存在するのだと。

 

愛と一体感。ふたりは、ふたり以上の何かに。

終盤のシーン、人間となったダミエルと出会ったマリオンは、ダミエルに対して語りかける。

"今、私たちふたりは、ふたり以上の何か。私たちは広場にいる。無数の人々が広場にいる。私たちと同じ願いの人々"

"あなたは私が要る。""ふたりが作る歴史はきっと素晴らしいわ。男と女の 大いなるものの歴史。"

天使の世界と人間の世界、互いに触れることもできず、交わることのなかったふたりが、必然を感じ、出会い、一つになる。その瞬間、彼らは一つになると同時に、ふたり以上のものになる。愛することが、人を孤独から解き放ち、生の充実感を与えてくれる。この世界を偶然ではなく、必然と思わせてくれる。

 f:id:shino111:20200421200814p:plain

 *ダミエルに語りかけるマリオン。それは同時に、無数の人々に対する語りにもとれる。

マリオンの言う、”私たちと同じ願いの人々”が表すこと。それは、男女の二項関係における愛のみでなく、社会を生きる人々もまた、他者への愛によって一体になることができるという希望、願いが込められている。

 

人間存在への肯定感、暖かいまなざし

天使ダミエル、カシエルの目線を通じて描かれる人々は、苦悩している。分厚い壁に囲まれ、鬱々とした日々を生きる人々。仕事も、生活も、ままならない。マリオンが所属していた、人々に夢を与える存在であるはずのサーカス団も、経営不振で解散となる。

サーカス最後の夜を終えた団員は、賑やかな宴会を開く。安酒を飲みながら、思い出を語り、愚痴を言い、身を寄せ合って将来への不安を励まし合う団員。

その様子を見て微笑みを浮かべるダミエルには、人間がどのように見えていたのか。それは、不完全な人間に対する愛であり、憧れであるように思える。

全能な天使であるダミエルが人間への憧れを抱き、愛や生の実感を得ながら、人間として悔いなく生きていく。そんな物語からは、人間という存在への「大きな希望」、「肯定感」を見出すことが出来る。

 

地上に降り立ったばかりのダミエルが、冬の寒い空気を感じ、出会った男に小銭を貰ってコーヒースタンドへ向かうシーン。コーヒーを受け取り、手で暖かさを確かめ、コップを口にし、味わい、顔をほころばせる。

f:id:shino111:20200421201901p:plain

 *名シーン。コロンボに教えてもらった通り、ちゃんとかじかんだ手をこすって温めるダミエル。

この映画を観る度、自分は今、人生の些細な瞬間を味わい、喜びを感じながら生きられているか?と、暖かく、問いかけられているような気持ちになる。

 

最後に。

ヴェンダースは、地上に降り立った天使について語っている。

 

”彼はその目であらゆるものを見る。あたかも最初にして最後でもあるかのように見るわけです。(中略)…まるで、ただ一度だけ人は世界を本当に見つめることができるかのように。”